「ブルーの本」をどう読むか(5)           ホームページ

はじめに

今号はブルーの本をどう読むか、その一例として放送大学の放送授業「日本語リテラシー」を参考に、どう読むか、を試みてみる。

第4章「転移」の序論

私たちはすでに、作業同盟を作り出すことで混乱解除の段階に入ることを示した。と言う書き出しで、「まえがき」されていると思う。

本章では転移関係に焦点を当てることによって治療のこの局面をさらに理解して行く。とある。

この一文が最初のトピックセンテンスとみた。

本章の題字はVan Morrisonのアルバム『言葉にならない心のことば』からのものである。もしあなたがMorrisonの歌声を知っているなら、説明の必要はないだろう。理由が分からいまま、心が動かされるのを感じるだろう。というのはMorrisonは彼の言葉にならない心のことばを、音楽を通して私たちに転移させるからである。とあるのは、題字の「言葉にならないことば」の説明(支持文)である。  

患者たちが彼らの傷ついたり壊れたりした心の言葉にならないことばを、どのように治療者たちに転移させるかがこれ以降四つの章の主題である。

ここまでが第4章「転移」の序論(ハーガデンらの転移論の「まえがき」)の部分と考える。そしてそれがハーガデンらの転移論の序論であるかもしれない。この序論は62頁〜66頁までである。ここで若干余談の話をすると、そもそも自己のレベルの問題は転移でしかとらえることができないというのだが、転移に顕われるものすべてが自己のレベルに由来するということではない。このことをこの序論を読む上で述べておきたいと思う。

例えば自己の生成期を過ぎるとエディプス期が待っている。エディップス期には性的欲動や破壊的敵意などに由来する転移の原因を持つ。この時期に由来する転移の内容は精神分析の防衛機制にその多くが示さている。

そして、精神分析も新しい時代に入っても関係性精神分析が台頭してきている。非言語的時期(自己のレベル)の分析とその治療の研究が進められているのである。

以下ブルーの本に戻る。

フェミニズムの1970年代には、不滅のキャッチフレーズがバッジに書かれていた。いわく、「結婚後に人生があるの」である。そして、つづいて、

ある日私たちは一緒に列車の旅をしながら、本書のさまざまな側面について議論していた。転移について話し、『転移後の人生』があるかどうかではなく、『転移抜きの人生』は存在するか、について想いを巡らして始めていたのだ。とある。

ここまでの記述は、この次の文(トピックセンテンス)の説明の部分である。このように事前説明のあと本題に入るのもよくあることだ。そして次にハーガデンらの転移論の中心文が述べられているように思う。

誰かと関係を持つということは、私たち自身の、あるいは私たちの歴史の中の何かをその「他者」に転移しているにほかならず、それは多くの場合無意識のプロセスなのだ、と言う結論に私たちは達した。単純に言えば、私たちは誰かがほほ笑むのを見たら、特に意識することもなく信頼をその人に「転移」するかもしれないし、厳しい顔をしていたら失望を「転移」するかもしれない、と言ったふうである。他者の体験に共感する能力は、このプロセスなくしてありうるだろうか。ありえないと私たちは考えている。

余談だが、この文は「私たち」と言う語が目立つ。普通に書くと、「誰かと関係を持つということを私たちは、・・・」と書いてそれ以後の「私たちは」は省略されるのが日本語である。翻訳は「私たち」を強調しているとして訳したのであろう。そういう意味でもここの中心文(トピックセンテンス)はこの文だと思う。つまり、「誰かと関係を持つということは・・中略・・他者の体験に共感する能力はこのプロセスなくしてありえない」と言う考えが彼らハーガデンの主張であるようだ。参考までなのだが、「まえがき」のところのトピックセンテンスは文章のはじめの方に書かれていて、その後に支持文がある。だが二つ目のトピックセンテンスでは先に説明文がある。つまり先に説明してトピックセンテンスを書くか、またはあとから「というのは」というように後から説明をする場合があるということである。次の文も説明のような感じの支持文であるが、まず読んでみると。

セラピールームの工夫された親密な空間でこのプロセスは強められるのである。なぜなら、患者の感情と体験が、その関係の主な焦点となるからである。そのようにして自己意識が高まるために、自己の無意識の諸側面がさらに転移されやすくなるのである。とあるのは「他者の体験に共感するのはこのプロセス・・・」を支持していると思う。

そして次に続く「一人の黒人女性と7人の白人女性からなる。あるサイコセラピーのことだ。黒人女性は、とある上流中産階級出身の白人女性について、・・・・・・差別主義者だと考えていた。

と例示が始まっている。先の「患者たちが彼らの傷ついたり壊れたりした心のことばにならないことばをどのように治療者に転移するか。ということに関係して、「他者の体験に共感する能力はこのプロセス・・・」をさらに支持する例示である。もっと言えば、「私たちはこのような体験をしているから「・・・プロセスは強められる」と言えるのである。と補強している。ただ注意したいのはこの例示がある意味まとまりのある文章のかたまりを見せていても、例示という支持文であることを念頭に読む必要がある。そうでないとこの例示の方に目を奪われて主題をなおざりにしてしまうと、転移理論について理語が置き去りにされることになる。

そして、このような例示文においてもトピックセンテンスが見られ、つまり例示そのものが一つの文章のかたまりとしてまとまりを見ることもある。

このような提示の文章を含めて、文章のまとまり(かたまり)をパラグラフと放送授業では言っている。

このパラグラフの例示文では「8人のサイコセラピーのなかのただ一人の黒人女性が上流中産階級出身の白人女性を差別主義者だと投影した」と始めている。以下を要約して書いて見ると、

まず黒人女性は、過去に受けた白人からの差別主義的の体験が中産階級の出身の白人女性であったこと、そしてその女性が優越な抑圧者だったことから投影したのだ。だが、グループの白人女性は全く逆で差別主義者ではなく、彼女は何年もアフリカに住み、黒人の友だちと更に同僚も持ち、誰よりも差別的でなかったというのだ。しかしながら、黒人女性は家族ともども中産階級の白人体制派からひどい差別を受けたことの取り入れが強くあったためグループの白人女性もそのように見てとったのだ。当の白人女性は黒人だけでなく、労働階級者から、優越な抑圧者だとして投影されることも多く、それゆえ階級的アイデンティティに対する先入観に対しても対処しなければならなかったようだ。

こうした状況があったからこそ、両者の気づきを深めることをグループ全体で差別主義にかかわる気づきのワークスルーすることになった。そして、この転移体験により肌の色を持つ意味を展開し、白人であることと黒人であること、特権と欠乏、これら本来的な二極性をコンテインする可能性を全員に開かれることになった。この二人の女性の体験をワークスルーすることで互いの体験を否定せず、傷付けない転移を生み、そこで呼び起こされた想像上の可能性をグループメンバーが共有し支持し続けることができた。なかには分かり合えないということがわかり泣いた者もいた。だが、そこを去るものはいなかった。

本文はもう少し長いが予約かいつまんで書いて見た。そしてそれは、転移は共感でもある、と展開している。

そして、「転移は共感である」と言う意味の文を補強(支持)するための視点、見解の紹介をしている。

転移についてRycroftは次のように言っている。

1、それまでの生活歴の中で知った人物たちに 由来する感情や観念を、患者が分析家のうえに置き換える過程。患者はこの過程によって、分析家に、かつての対象にかかわってでもいるかのようにかかわり患者はこの過程によって、かつての取り入れによって獲得した「対象表象」を分析家のうえに投影し、患者はこの過程によって普通はそれ以前の他の対象が帯びていた意味を分析家に付与する。

2、患者のうちに1、の過程によってつくり出 される心的状態。

3、大まかないい方をすれば、分析家に対する 患者の情動的態度一般。

これが列車旅行中に到達した結論であったが、私たちはこれをまさに「人生」だと考えている。したがって、転移関係は他のどんな関係とも区別できるものではない。それは私たちが他者ならびに私たち自身との関係を如何にして、ともに創り出すかということの一部である。この視点に置いて私たちはFreudの考えに一致しているように見える。Freudは転移について「・・・人間の心の普遍的現象であり、・・・事実上の、各人の人間的環境との関係の全体を支配している」と書いている。 Moiso and Novellinoは、「サイコセラピーの関係において起こる交流には、転移と逆転移のさまざまな次元があり、これらを受け容れ、それらと共に治療を進めることによる膨大な方法論的・臨床的影響をTAアナリストは中和してはならないと主張している。それは「C」の混乱解除に取り組むTAアナリストにとって、まさに転移関係が中心的なものとなると考えているからである。

こう見てくるとこの最後の一文がトピックセンテンスであるかのように感じる。だが転移論の主題を意味するものではないので、「たとえば」という例示の範囲においてのトピックセンテンスと考える。本文に戻ると、

ここで、転移についてワークする際の「膨大な方法論的・臨床的影響」に注意を向けよう。私たちが転移を定義し同定することが重要だと考えている理由は、その現象を、セラピストが患者の無意識的な諸側面について発見し、まさに患者が自身について発見するための媒体と見ているからだ。ことに私たちはこの過程を、患者が気づいていない、言葉にならない体験を伝えようとする試みと見ている。だが、言葉にならない体験について言語的自己感(Stern1985)では叙述する言語が見つからないとき、あるいは私たちが自己モデル(33頁、図2,4)で描いたように、言語的自己が何も知らず体験の内的諸側面から切り離されているときは、(ここの意味?だが)自己のそれらの側面は直接的な言語ではなく媒介物を通してしか知りようがない。自己の他の面は患者の融和した自己感「A0」を脅かすものとして体験されることが多いが、私たちはFreud以降多くの人々から(そして実際私たち自身の観察から)抑圧されているものは別の方法で出てくるということを学んできた。私たちは、抑圧体験は身体を通して、そして治療者がいる前で表現された期待、感情、思考を通して露わになることを見てきている。ただし、私たちが観察を理解し用いる方法は、もちろんFreudのものとはかなり違っている。とりわけ逆転移へのワークの仕方についてはそうである。(原文のまま)

(上の文章はところどころ私が手を加えている)

ここまでトピックセンテンスに関連する文章のかたまりを意識して読むことを紹介してみた。 

ただ、「序論」と見た〜66頁の記述までまだ残りがある。それを次号で書いてトピックセンテンスとパラグラフ的な見方について捕捉してみたいと思う。

 そして66頁最後の数行にある次の文がこの序論の結論文であろうと考える。

転移はその中に変容の可能性を秘めている。もしセラピストが転移を引き受ければ、患者は変化するためにそれを使うことができる。とある。そして冒頭のトピックセンテンスに呼応している。

本章では転移関係に焦点を当てることによって治療のこの局面をさらに理解して行く。とある。(瀬尾功)

 

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